3人で大晦日
2003 / 12 / 31 ( Wed ) 今日は朝からぐずりだして、結局午前中いっぱい。私は朝ごはんを食べることも、顔を洗うこともできなかった。で、教訓。「朝は、りっくんより早く起きること」。夜中の授乳のせいで、眠いのは眠いのだが、朝彼と一緒に起きると、全く自分の世話ができないので、りっくんより早く起きて、彼が起きる前に自分の用事を済ませてしまうほうがいい、と気づいた。明日からはそうしよう(できるだけ)。 毎年大晦日は日本の風習に習って、おそばを食べている我が家。今日は朝からへとへとだったので、もうマクドナルドでもいいか、と思っていたくらいだったけど、せっかくりっくんの初めての大晦日でもあるし、と思い直してそばを茹でた。出来合いのてんぷらも用意して、天ぷらそばの年越しそば。さて、食べようと思ったら、なんと泣き出してしまったので、腕に抱いて家族3人で年越しをする。来年の今頃は、どうなっていることやら。。。。 |
へその緒の「棒」が取れた
2003 / 12 / 30 ( Tue ) 通常なら一週間から10日で乾いて落ちる、と言われているへその緒だが、りっくんのそれはなんだかしっかりくっついていて、ぴくりともしないまますでに3週間が経過している。大丈夫かなぁ、と思っていたら、今日、おむつを取り替える時に、ぽろっと黒いものが落ちてきたので、え?っと思ったら、なんとへその緒の「棒」部分だけが折れてしまって取れていた。つまり、まだおへそには黒々とした根っこがついたまま。幸い、予防接種で小児科医を訪れることになっていたので、その際にDrに聞いてみたら「そのうち自然に取れるでしょう。アルコールで拭いてあげて」と言われた。とりあえず「棒」の部分だけ、用意してあった桐の箱へ保存。 ところで、最初はどうなることやらと思ったおっぱいだが、最近はパンパンに張ることもなく、痛くも痒くもなくなった。やはり看護婦さんの「赤ちゃんが癒してくれる」の言葉どおり。りっくんが定期的に吸ってくれると、変な言い方だがとても気持ちいい。す〜っとする感じ。 |
母の帰国
2003 / 12 / 29 ( Mon ) とうとうこの時が来てしまった。母の帰国。10月の終わりに、私が入院して、もしかすると、帝王切開で未熟児出産か、という危うい状況だったのを受けて、予定より一週間早めに渡米してくれた。大雪が降った11月の中旬、あれから6週間とちょっとの滞在で、今朝ほど我が家を発っていった。 彼女には丸2年以上会っていなかった。そうして、そこから一気に「こんなに長い間二人きりで過ごしたことは今までなかったね」というような6週間を過ごしてしまったので、今朝、彼女が車に乗り込んだあと、身も心も空っぽになったかのような虚脱感に襲われてしまった。さらにもっと言えば、普段は意識してないつもりでも、やはりどこか故郷が恋しかったのだろう、故郷の匂いに包まれて幸福だった時間が終わってしまうことの寂しさが、どうしようもなく襲ってくる。「どうして自分はここにいるのだろう」、そんな気さえするほどだ。 いくら娘の出産の手伝いとは言え、英語も話せない60にもなった母が、重い荷物を抱えて、日本からの直通便がないこんなNYの田舎町まで、飛行機を乗り継いで、たった一人でやってくることは、決して容易なことではなかっただろう。それを、私と、私の家族のためにしてくれたことに、深く深く感謝しよう。今度は、りっくんと共に、日本の地で会えることを願って。
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初めてのお風呂
2003 / 12 / 28 ( Sun ) アメリカではへその緒が取れるまでお風呂に入れてはいけない、というのが常識のようで、先日も小児科医を訪れた際に「日本では入れるんですけど」と言ってみたら、「ここではやりません」と言われてしまったので、息子は生まれてから一度も、ちゃんとお風呂に入ったことがないまま、3週間も過ごしていることになる。 日本人としては「やっぱりお風呂は気持ちいい」と思うし、日本からわざわざ来てくれた母も、「お風呂の入れ方だけは教えて帰る」とずっと言っていたのだけれど、どういうわけだか、彼のへその緒は頑固にもまだくっついたままで、そのチャンスがないまま、母は明日帰国の途についてしまう。 オムツかぶれもあるし、じゃ、へその緒を湯につけないで、体を洗ってあげよう、ということになり、いざ決行。Baby用バスタブの上にはネットが張ってあり、そこに寝かせれば体を湯につけなくともいいようになっている。便利。早速、顔から始まって、体、背中、おしり、と、濡れタオルで洗いながら拭いてゆく。最後にシャンプーをして、おしまい。最中はちょっと泣いていたが、終わったあとにはぐっすり。やはり気持ちいいのだろう。 それにしても、これは結構な作業で、ひとりで手早く片付けるには、まだまだ訓練がいりそう。とりあえず、背中を洗うときに、自分の腕を支えにしてBabyをひっくり返す技だけは、習得できた。 |
初めてのプレゼント
2003 / 12 / 26 ( Fri ) パパの家族たちが一日遅れのクリスマスを祝いにやってきた。りっくんはたくさんのおもちゃをいただいたけど、まだ遊べるようになるまではしばらく時間がかかるな。義理の母にはすでに孫が4人いるが、男の子の孫は今回が初めてなので、それで特に嬉しそうに見える。 出産後、基本的には自宅で母とパパとりっくんとだけで過ごしてきたので、久々のお客さんにちょっと疲れてしまった感じ。なんとなくお腹が痛い。 |
メリークリスマス
2003 / 12 / 25 ( Thu ) クリスマス。初めて家族3人プラス私の母とで祝うクリスマス。りっくんにはOldNavyで買ったクリスマスの洋服を着せる。グレーの地に、サンタさん、クリスマスツリー、トナカイさんがプリントされているもの。気になっていたサイズもぴったりで、一安心。オットがロースト・ビーフのディナーを料理してくれた。妊娠中はステーキなどが一切受け付けなかった私だが、今日はおいしくいただけた。 その後、4人でプレゼントを開けた。私はりっくんから、彼の誕生石であるブルー・トパーズがデザインされた揃いのネックレスとイヤリングをもらった。大切にしよう。 |
クリスマス・イヴ
2003 / 12 / 24 ( Wed ) りっくんの初めてのクリスマスイブ。ラルフローレンで買った、熊の柄のカバーオールを着せてみる。なんと、もうパツパツ。特に背丈がきつそう。悲しいけれど、今日でこれを着せてあげるのも最初で最後かもしれない。お祝いでいただいたお洋服も、全部着せてあげることができないかも。裾が開いているものはいいけれど、閉じているタイプだと足が伸ばせなくてきつそうなのだ。新生児用の服は出番があまりなさそうだ。 とりあえず、それでも、記念にと、ツリーの前で写真を撮る。可愛く撮れてるといいけれど。生まれた当初は、全く日本人顔、それもさっぱりしょうゆ系の顔つきだったのが、最近は、目鼻立ちがぐっとはっきりしてきて、やはりどこかパパに似てきたような気がする。 |
もうすぐメリークリスマス
2003 / 12 / 21 ( Sun ) 出産後の入院生活以来、ずっとむくみに悩まされていたが、気がつくとそれも解消。久々に、普通に靴が履けることに気づいた。よかった。 まだ外出が思うようにいかないので、今年はクリスマス・ショッピングをしていないせいか、あまりクリスマス気分が盛り上がらない。去年のことを思い出してみる。と、その頃はまだ妊娠の「に」の字もなかったんだなぁ、と思うと、なんだか不思議な思い。 |
初診察
2003 / 12 / 19 ( Fri ) りっくんの退院後初めての診察。車に乗せたら泣くかな、と思ったけど、意外や意外、すっかりおとなしく寝ていてくれた。 診察では全く問題がないと言われ、体重も順調に増えていると言われほっとする。ただ、母乳で育てている私に関して、食べてはいけないもののリストがあって、結構厳しいので驚く。その他、日本では白湯をあげていいと言われるが、アメリカではあげないというし、また臍のをが取れるまではお風呂に入れてもいけないと言われる。母は日米の違いに戸惑っていた様子。 食べてはいけないもの:ブロッコリー、豆、キャベツ、コーン、カリフラワー、たまねぎ、胡椒、ホットソーセージ、乳製品、チョコレート、カフェイン、スパゲティソース、オレンジジュースなど酸度の高いもの
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命名式
2003 / 12 / 14 ( Sun ) りっくんの命名式をする。あらかじめ日本にいる父が命名書を記入してくれていたので、それを飾り、またオパパも英語で命名書を作り、2つの命名書の前で写真を撮った。 母が日本から持参してきてくれた、赤飯で3人でお祝い。七五参の話などをしながら、日本にいれば、いろんな行事を体験させてあげられたろうなぁ、とちょっと思う。もちろん、アメリカにいてもいろいろあるけれど。 |
退院
2003 / 12 / 12 ( Fri ) 今日は退院の日。朝からなんだかそわそわしてしまう。りっくんには家から持参した新品の服を着せてみる。GAPで買った白いカバーオール。小さな可愛い耳のついた帽子もかぶせてみる。 退院に関しての注意事項を受け、書類にサインする。11時前、パパが病室へ迎えにくる。約一週間滞在していたので、なにかと荷物が多くて、部屋を片付けるのに結構時間がかかってしまった。と、そのうち、なんだか急にいろいろな思いがこみ上げてきて、涙。25週目と33週目に出血と早期の陣痛があって絶対安静で入院していた時のこと、それをなんとか乗り越えてやっとりっくんに対面でき、今こうして共に自宅へ帰ろうとしていること、一方、いつでも助けてくれた看護婦さんがいなくなってしまうことへの不安、また初めての子育てへの不安など、そんなことが頭の中を一気に駆け巡って、安堵と不安と、嬉しさとがぐっちゃぐちゃになった思いだった。すると、またすぐに看護婦さんが来てくれて「出産後でホルモンのバランスが崩れているから、ちょっとしたことで涙が出てしまうのよ。悩みがあったらいつだってここへ電話してきていいのだから、大丈夫」と温かい言葉をかけてくれる。で、また涙。。。 自宅へ戻ると、母が掃除を済ませていてくれた。りっくんをバシネットに寝かせて、ひと段落。傷がまだ痛いので思うように動けないのがつらいが、それでも自宅へ戻ってきて、一気に気分が楽になる。 |
シャワーでふらふら
2003 / 12 / 11 ( Thu ) もう胸がすごいことになっている。パンパンという言葉以上に、パンパン。痛いし、熱いし、かゆいし、もう触れることもできない。看護婦さんに相談すると、「3日目だから仕方ないわね。痛み止めを飲みなさい」と言われ、モートリンの服用と、温かいお湯に浸したタオルを当てるといいと言われる。「そのうち赤ちゃんが癒してくれるから大丈夫」と言うけれど、乳房を含ませる度に激痛が走り、かなりつらい。 手術後初めてシャワーを浴びていいと言われ、喜んでシャワー室へ出かけたのはいいが、やっぱり傷が痛いし、立っているのもつらくて、ふらふらになりながらシャンプーした。傷は「ホッチキス」でとまっているらしいが、怖くて見れないし触れない。お腹はまだまだ大きいままで、本当にもとの体に戻れるんだろうか、と不安になる。 |
赤ちゃんの仕事は泣くことだと言ってもね…
2003 / 12 / 10 ( Wed ) りっくんは朝から全く機嫌が悪く、火がついたように泣き喚くばかり。ミルクを上げても、抱き続けても、なにをしても泣き止まない。見かねた看護婦さんがやってきて、助けてくれる。さすがはプロ。彼女たちになだめられると、彼はぴったりと泣き止んでしまう。母親の立ち場はまるでなし。 午後になって、小児科医がくる。Drが言うには、りっくんがご機嫌が悪いのはガスのせいかもしれない、と言われ、「お母さん、牛乳は飲んでる?」と聞かれる。入院して以来、一日3食飲み続けていたので、そう答えると、「じゃ、それが原因かもしれないから、しばらく飲まないで」とのこと。なるほど。母乳というのは、私が口にしたもの全てに影響を受けるわけで、今後はいろいろ気をつけないといけないなぁ、と改めて自覚する。 点滴の影響なんだか、下半身のむくみがひどく、かなりつらい状態。 |
授乳開始
2003 / 12 / 09 ( Tue ) 昨日出産したばかりだというのに、今日からすでに授乳が始まった。母乳だって出てるのか出てないのかも分からないのに、看護婦さんが3時間ごとに息子を連れてやってきて、乳房を含ませろと言う。りっくんはまだ上手に吸えなくて泣き喚くし、私はどうしていいか分からなくてオロオロしてばかり。 しかも自分の傷もまだ痛くて起き上がるのもやっとだというのに、看護婦さんいわく「歩いたほうが回復が早いのよ」。夜寝る前、歯磨きを手伝いに来てくれた看護婦さんが「立ってみて」というので試しに立とうと思ったら、傷が痛いのなんのって、悲鳴を上げるほどだった。歯磨きは断念。 |
おまけ「入院は4日間」
2003 / 12 / 06 ( Sat ) アメリカでは通常、普通分娩では2日間、帝王切開では4日間の入院が一般的です。これは、なにもアメリカ人の方が回復が早い、なんてわけではなくて、保険会社の都合によりそうなってしまっているのが現状です。医療費、高いですからね。 今回、私は出産当日を含め4泊して5日目の朝に退院しましたけど、本人の希望があれば、これ以前でも退院できるんだそう。嘘だか、本当だか知りませんが、あまりに医療費が高いので「病院で寝ててもゆっくりできない、家に帰ってくつろぎたい」、なんて人もいるらしいですし。 それにしても驚いたのは、手術の次の日には、なんでも自分でするように言われたことです。日本の雑誌で読んだような、日本では最初の数日間は、悪露の処理も看護婦さんがしてくれるから、寝たままでいい、なんて、アメリカでは通用しません。彼らが言うのには「動けば動くだけ、早く回復する」のだそうで、トイレ、シャワーはもちろんひとりで行きましたし、ベッドから起き上がって、授乳も3時間ごとにしてました。もちろん、傷口はズキズキと痛んでましたけど(笑)。シャワーなんて、立ってるのもやっとだったし、シャワーのお湯がお腹に当たるだけで、飛び上がるくらい痛かった。トイレも、いったん便器に座ってしまえばなんとかなるのですが、問題なのはその手前、ベッドから起き上がって、立ち上がる時が最高に痛かったですね。悲鳴上げそうになりました。 食事は、手術当日だけは「クリア・ダイエット」と呼ばれる流動食でした。ジュースと、液体だけのスープと、お茶と、ゼリー。もっともこの日は食欲などなかったですけれど。次の日からは、全く普通の食事が出されました。一応メニューがあって、好きなものを選べるんですが、毎食ほとんど同じ内容で、飽き飽きしてました。特に、私の場合は、妊娠25週目と33週目と2回入院しているので、その時にすでに病院食は食べつくしたというか。朝はシリアルとか、ベーグルとか、パンケーキとか。昼はサンドイッチ、ハンバーガー、ホットドッグ。夜もサンドイッチなどが多くて、他にはステーキとかチキンの類がある程度。幸い私は母がいましたので、おにぎりとか、いなり寿司なんか持ってきてもらって食べてました。時間外でお腹が空いた時には、キッチンにある冷蔵庫からなんでもとって食べていい、と言われました。サンドイッチやヨーグルト、アイスクリーム、ジュースなんかが入っていて、飲み物は、ジュース類、紅茶、コーヒー、コーラ、ジンジャーエール、お水、などが揃っていました。アメリカでも、病院によっては「祝い膳」が出されるところもあると聞いていましたけど、私の病院ではそういうのはなかったです。ただ、病院のフード・サービスからと称して、フルーツの盛り合わせのギフトをいただきました。 入院中はそれなりに快適でした。看護婦さんが至れり尽くせりで、1時間ごとぐらいに病室へ来て「なにかある?」と聞いてくれたし、特に私の場合、過去に2回の入院生活があって、ほとんどの看護婦さんとは顔見知りだったので、不安など全くなく、とても心強かったです。出産予定日の一ヶ月前に、病院から「入院時に持ってくるものリスト」というのが送られてきたのですが、実際入院してみたら、これら持参したグッズの数々を利用するチャンスはなかったです。使ったのは歯ブラシとシャンプーくらい。パジャマも病院のナージング・ガウン(おっぱいのところにスリットが入っていて、そこから授乳できる)を貸してくれたし、下着も使い捨てのものが用意されていて、さらに悪露用のパットもトイレに完備、足りなくなったら補充してくれたし、スキンケア用のローションや洗面器なども、一揃いセットにしてくれました。病室は全て個室で、トイレと電話、テレビがついていて、自分の時間が保てたのもよかったです。 退院時には、数枚にもわたる「退院後の注意」と、「赤ちゃんの最初の一ヶ月」という小冊子と、「ママの10ヶ月目」(こちらでは妊娠は計9ヶ月と数えるので、10ヶ月目の意味は出産後最初の一ヶ月ということ)という小冊子をもらいました。これにいろいろ細かい注意事項が書かれているんです。私の場合は帝王切開でしたから、ちょっとした行動の制限がありました。例えば、「2階には一日2回以上は往復してはならない」「足を組んで長い間座ってはいけない」「赤ちゃんより重いものを持ってはいけない」「傷口の消毒は一日一回」「できるだけ安静にしていること」「退院後3週間目までは車の運転をしてはいけない」とか、とか。取りあえず、最初の数日は、パジャマのまま過ごしました。息子が寝ている時は私も寝るようにして、食事は母が世話してくれましたので助かりました。傷は相変わらず痛んでいたので、4時間ごとに痛み止めを飲んでしのぎました。なにが辛かったって、くしゃみやせきの時ですね。お腹をぐっと押さえて、なるべく振動が伝わらないようにしてやりましたけど、あれは痛かった。排便時にもなぜだか痛みがあって、これもかなり苦痛でした。 その傷に関してですけど、私の場合傷口は「横切」で、縫合はでっかいホッチキスで留められていました。病院にいる間は、一日一回看護婦さんが傷口の消毒に来てくれましたが、自宅に戻ってからは、これはオットの仕事に。結局私はなんだか恐ろしくて傷口を見れないまま、退院してから1週間後の抜糸まで過ごしてしまいました。ホッチキスを外すときは、さほど痛くはなかったです。ちょっと「つっぱる」感じはありましたが。その後も、しばらくはやっぱり怖くて傷口を見ることができなかったんですが、最近になって、一ヶ月経って、ようやく傷口を見られるようになりました。結構下の方を切るんですね。変な言い方ですが、「毛の生え際」ってところでしょうか。もっとお腹の中心部分に傷ができることを想像していたので、これは意外な感じでした。長さは15センチくらいかな。きれいに一筋、すーっと線が入っているように見えます。触ってみると、傷口のところは硬くて、ちょっと盛り上がったようになってます。さらにその辺りだけ感覚がほかの部分と違うんです。なんか「変な感じ」、自分の皮膚を触っているという感覚がないみたいな。やっぱり、お腹を切るって、大変なことなんだなぁ、と思いました。 さて、妊娠時に20キロも増えた私ですので(こちらでは日本のように妊婦の体重にうるさくないのです。むしろ未熟児を防ぐために、多少増えた方がいいとさえ言われるようです)、お腹の皮ももう十二分に伸びきっていたわけで。その一日でも早い回復を望んでいるところですが。先日、自分のたるんだお腹をみながら、「あれ、これってどこかで見たような気がする」と思ったら、悲しいかな、それはお相撲さんの小錦さんのお腹だったのです。たる〜んとしてるのね。さらに、まだお腹の真ん中をまっすぐの線が入ったままだし、おへその周りの色もおかしい。妊娠線はないけれど、確実に脂肪がついたのが見て取れるし、いっくら犬印のウェストニッパーで引き締めてみたところで、これはごまかしが効かないレベルです。帝王切開したので、術後6週間はエクササイズをしてはいけないと言われているので、それがあけたらせっせとダンベル体操でも開始しようかと思ってます。 そんなわけで、皆さんに次回お会いするのは、「元のからだに戻ってから」ってことで(笑)。いつになることでしょうか。。。ははは。 |
その時が来た!
2003 / 12 / 06 ( Sat )
12月6日土曜日、夜10時ごろ、濃い茶色の出血があることに気づく。病院からあらかじめもらっていた注意書きには「茶色い出血は正常」とあるので、そのまま様子をみることとし、早めにシャワーを浴びて、11時ごろ就寝。なんとなく予感なようなものがあり、用意してあった大人用オムツを着用してみる。
これまで同様、その日も夜を通して何回もトイレに起きる。午前3時半ごろ。真っ赤な鮮血の出血があるのに気づき、病院に電話。「子宮口が開き始めたのでしょう。そのままで大丈夫」と言われ、再度ベッドへ。午前4時半。なにかが「出てくる」感じがあり、「出血が続いているのかな」と思いながら、トイレへ行ってみると、水がドボドボ出てくる。破水だろうと思ったが、血が混じっていたので、念のため病院へ電話。助産婦と話をして、すぐ病院へ来るよう言われる。オットと母を慌しく起こして、病院へ。
12月7日日曜日、早朝5時半。検査の結果、やはり破水しているとのこと。出産室へ入ってモニターをつけてもらうも、ほとんど陣痛が来ていないことが判明。歩くよう薦められたので、院内をくるくるひたすら歩き回る。その間、羊水はちびちび流れ続けていた。
午前8時半。Drが来て内診。子宮口は柔らかくはなっているものの、まだ閉じたままだと告げられる。「このまま12時間くらい様子を見て、それでもまだ変化がなければ薬を開始しましょう」ということになる。オットと母は一度家へ戻り、私はひとりでテレビを見たり、歩いたりして過ごす。
結局、そのままなにも起こらないで時間ばかりが経ち、7日午後6時、陣痛誘発剤(促進剤)の点滴が開始される。ほぼ4時間ごとの検診で子宮口を測定、しかし全く変化が見られず、薬の量ばかりが上げられていくので、人工的に作られた陣痛の波だけが異常な痛さとなって襲ってきて、その痛みを堪えるのにかなり体力を消耗。麻酔はできれば使いたくなかったが、ナースのアドバイスにしたがって、陣痛の感じ方を楽にする薬、を使用することに。この時、すでに7日土曜日の深夜近く。こうして、からだを休めている間に、誘発剤の効果で子宮口が開くのを待とう、という作戦だったのだが。
薬の効き目もあるんだか、ないんだか、もうとにかく痛くて痛くて、どうしようもなくて、なのに、子宮口は全く開いていないので、もうなんでもうやってくれ、というちょっと投げやりな気持ちになり、無痛分娩用の麻酔を泣きながらお願いする。と、その直後、ナースが「おおっ」と言って、いきなり私のからだを左右に動かし始めたり、酸素マスクをかぶせたりしはじめ、またあっちこっちからナースたちが集まってきて、なにがなんだかわからないまま、緊急事態が起きていることに気づく。なんでも、薬で起される陣痛がどんどんBabyを押し出そうとしているのに、私の子宮口がいっこうにふさがったままなので、それでBabyの頭の先が出口がないまま押され続けたため、そのショックで心拍数が大幅に下がっていたとのこと、とても危ない一瞬だったらしい。Drも駆けつけ、私はパニック状態ではっきりした意識もないまま、泣いていたような感じ。やっと心拍数が正常に戻って安心、という状態に戻ったら、Drが無痛分娩用の麻酔をしたほうがいい、というので、脊髄麻酔を受けることに決定。
これが痛いのなんのって、脊髄に針が入って、冷たい薬剤が通っていくのが圧迫感を伴う痛さで、実にジンジンと痛い。からだを支えてくれていたナースの手を思いっきり握り締めていたが、涙が思わずぐぐっと込みあげる痛さ。で、これが効いてくれるならいいのだが、その後も陣痛の波はやってきて、これがかなり痛い。「本当に薬は効いているの?」とナースに聞くと、「大丈夫効いているわよ。これがなかったらもっと痛いわよ」と言われ、納得はしたものの(これが後で、「やっぱり」の結果になる)、相変わらずの痛みにウンウン唸る。
12月8日、月曜早朝5時。Drが来て内診。悲しいことに、薬の効果はなく、子宮口は3センチしか開いていない。「破水してしまっている以上、これ以上待つのはあまりよくない。ただ2つの選択があります。もうここで帝王切開に切り替えるか、それとも後1時間だけ待ってみるか、どうしますか」。せっかくここまでがんばったのだから、できるのなら自然分娩したい、まして予定外の脊髄麻酔も打ってしまったし、「後1時間待ちたい」、と自分の意思を伝える。
午前6時過ぎ。Dr再登場。 内診、結果、変化なし。「帝王切開にしましょう」。。。。。
慌しく、手術室へ移動の準備が始まる。帝王切開ではオットしか立ち会えないので、母には先に私が入院する部屋へ移動してもらう。オットは手術の準備が整うまで、部屋の外で待機。私は手術室に入り、麻酔の準備。幅のすっごい狭い手術台に寝かされて、落っこちないだろうかと不安になる。てきぱきと用意が進められていって、また麻酔のドクターが来る。あらたな脊髄麻酔を投与した後、「足先、暖かくなってきたでほ?」「いいえ、全然」。「ジンジン感じる?」「いいえ」そんな会話が続いた。しかしながら、麻酔は全然効いてこない。「この分だと、前にやった脊髄麻酔は効いてなかったみたいね。」そんな今頃言われても、というようなことを言われる。やっぱりね、だからあんなに痛かったんだ、と合点がいった。「もう10分くらい待ちましょう」と、部屋中の皆が私の麻酔が効き始めるのを待っている。私は「ちゃんと、薬が効いているのかを確かめてから、手術は始めるんでしょ?」と不安になって、たずねてみる。「もちろんです」。その直後、Drが針(?)だかナイフだかの先っぽで、私のお腹をちくりと刺して「感じるか?」と効いてくる。「全然感じてます!」と痛さと恐怖で絶叫。麻酔なんかちっとも効いていないことを、全身を動かしてアピール。こんな状態で開腹なんかされたらたまらない。結局、またあの痛い脊髄麻酔を、やり直すことに。再び、ナースの手を握り締め、涙ほろり。というか、この頃には、すでにかなり恐怖が募っていて、泣きじゃくっていたよう気もする。でも本当に本当に怖かった。
時間が来ても麻酔は効かず、さらに私がかなり精神的に不安定になっていたこともあり、とうとうDrが「全身麻酔にします」と告げる。口にマスクがかぶせられて「深呼吸してね」と言われるまま、涙でぐちゃぐちゃになりながら、深呼吸を数回。
次の瞬間は、回復室の天井の映像。オットが隣にいて、「Baby生まれたよ」とかなんとか言っている。意識朦朧。なんでも「髪が癖毛で黒く、目はブルー(これは後で撤回)。大きなえくぼがあって、体重は8パウンド7オンス。(3950グラム)。身長は22インチ(56センチ)で大きかったよ。」と嬉しそうに話してくれている。後で聞いたら、私はこの時、ひたすら、ひたすら「指の数がちゃんとあるか確かめた?10本あった?」とそればかり聞いていたそう。
病室に戻ると、すでにBabyはそこにいて、やっと、やっとのご対面。母が私の枕元にBabyを移してくれた。ただ、ただ感動。同時に、大いにほっとする。初対面の我が子はなぜだか「黄色いしょうちゃん帽」を着せられていて、笑える。その後、私は誕生日おめでとうの歌をうたってあげたような気がするが、実際、それから以降の記憶はほとんどない。とにかく心身ともに、とことん疲れ果てていて、ひたすら眠っていただけな様な気がする。
4月に妊娠が分かって以来、約36週間。後半はいろいろあってつらかったけれど、こうして元気な我が子に対面できたことに感謝しよう。そうして、この気持ちを抱き続けていくことが、この先道に迷いそうになった時の私の道しるべになるのだろう。
2003年、12月8日、7:23am、8lbs 7oz(3.95kg), 22 inches(55.9cm)、りっくん誕生!!! |
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